日記
師匠から聞いた話 #5「お知らせ現象を放置」
臥龍堂。春水(しゅんすい)です。

師匠がある地方に講演に行った時の話です。
ある女性(Aさん)から
「夫が何度か頭の怪我をしています。
3人の子供たちも、合わせて5回も骨折をしているのですが
何かあるのでしょうか?」
という質問を受けたそうです。
講演後に詳しく話を聞いたところ
ご主人の頭の怪我や
お子さんたちの骨折は全て
ご主人の天中殺か
ご主人の九星が北西に廻った時に
起きていたことに気づいたそうです。
(北西には先祖という意味があります)
師匠は当然のように
「年忌供養は行っていませんね」
と尋ねたところ、Aさんは
「それは何ですか?」と言われたそうです。
「今まで、何もせずに放っておいたのに
”明日からお墓参りします”では済みませんよ。
それなりのお詫びをすることが必要ですよ。」
と伝えて帰りましたが
その後、Aさんから連絡はありませんでした。
それから2年の月日が経った頃、
Aさんから
「夫が脳出血を起こし、危篤になりました。
何とかなりませんか?」
と連絡が入りました。
師匠は
「私に何を期待しているのかは概ね想像できますが
損傷してしまった脳を元に戻すことはできません」
と伝えたのですが
「それでもいいから力を貸してください」
と言われたため
「期待はしないこと」
と断ってから処置を実施したところ
お医者さんから
引かないと言われていた
脳内の血液が引き始め
自発呼吸が再開したのです。
目を開けることまでは叶いませんでたが
それから5年間は生きられたそうです。
発症した当初、その月には亡くなるだろうと
言われていたご主人が5年間も生きられたことで
Aさんは納得されていましたが
「最初に言われた時にやっておけばよかった」
という後悔は残ったようです。
こんな風に、現象はある日突然起きてしまいます。
後悔をしても元に戻るのならいいのですが、
起きてしまったことを無かったことにはできません。
大きな現象が起きる前には
必ず事前に兆候があるものです。
Aさんの場合は、頭の怪我や
骨折がありました。
もちろん、頭の怪我をしたり
骨折をしたら全てがお知らせ現象ということでもありません。
起きた時期から推察することは可能です。
早めに対処をしていれば
ここまで大事には至らなかったであろうと
思われる出来事です。
気になることがある人は
早めにご相談してくださいね。
師匠から聞いた話 #4「血縁がなくとも」
臥龍堂。春水(しゅんすい)です。

最近、墓じまいや
亡くなった後の葬儀や法要は必要ないと
考えている人が多い風潮がありますが
残された人たちに迷惑をかけたくないという思いからなのでしょうが
結果的にそれが不幸の元となることがあります。
そしてその現象は三代後に出ることが多い。
つまり、お孫さんたちが苦労をするということです。
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天中殺中に
頭の病気や頭の怪我、
がんが見つかった時
あるいは、誰かの年忌の年にあたる時には
「先祖の問題を疑いなさい」
と教わりました。
先祖の問題=年忌供養が行われていない
です。
年忌の場合は、
年忌が行われていな先祖と同じ病気になることがあります。
師匠の知り合いで
中学生のお子さんが目の病気に罹り、
大学病院で
「2年以内に失明をするだろう」
という診断を受けた方がいました。
家相的には問題なく
生年月日から見た(宿命的に見た)
体の弱点でもありませんでした。
そこで、師匠は
「目の病気」で亡くなった人がいないかを
調べてもらうことにしました。
それを伝えた時に
師匠は、おばあちゃんの態度に違和感を覚えたため
”おばあちゃんが嘘をつけない日”に
事情聴取をしてもらうことにしました。
すると、そこで出てきた事実は
”おばあちゃんは実は再婚だった”
という話でした。
それまで家族はその事を知らなかったそうです。
おばあちゃんが
最初に結婚していた旦那さんは
名古屋で空撃を受け
左目を撃ち抜かれて亡くなっていたのです。
おばあちゃんは最初の旦那さんが
亡くなった後、再婚をしました。
最初の旦那さんは
天涯孤独の身だったため
その方の年忌供養は
”誰も行っていない”
ということが判明しました。
中学生のお子さんの目の病気は
おばあちゃんの天中殺で発症していました。
その事実がわかったため師匠は
最初の旦那さんの「戦死者の供養」を
行ったところ
お孫さんの目の病気は完治したそうです。
以前の旦那さんと
お孫さんに直接の血縁はありませんが
その方が頼れるところがそこしかなかったため
お孫さんの病気という形で訴えるしかなかったようです。
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今、墓じまいや
亡くなった後に何もしなくてもいいと
思っている人は、こういうこともあると
知っていただきたいなと思います。
先祖供養で大切なこと
臥龍堂。春水(しゅんすい)です。

私たちはご先祖さまのお力添えをいただいて
この世に生まれてきています。
この世に生まれ出るために力を貸してくれたのは
ご先祖さまであって神様の力によって
生まれてきたわけではありません。
ご先祖さまの中に
この世で受けた苦が残っていると
この世に執着してしまい
あの世に渡ることができなくたるため
先祖供養という手段を用いて
「苦」を取ってあげることが必要になります。
この世で受けた苦とは
「痛い」「苦しい」「辛い」などの
現世での(生きていた時の)思いです。
残念ながら先祖供養というノウハウは
公開されているわけではありません。
好き勝手なことを言って
お金を稼ぐ手段となっていることも事実です。
お坊さんの世界も
お金がメインになっていて
法外な金額を要求されるような
悪質なところもあるようです。
先祖供養の世界では
普通では起きないことが起きたら
先祖供養が通ったと思いなさい
という言葉があります。
先祖供養をしても
何も起きなかったら
先祖供養はできていないと
考えても良いでしょう。
いずれにせよ
ご自身が納得のできる
先祖供養をしてくれる人を
見つけるしかありません。
わかりやすい見分け方は
その方が霊能の干支を持っているかどうか
(宿命としてお役目が与えられている人か)
で判断する方法です。
そういう人に過去の因縁を解いて貰えば
あとは普通にお墓参りと年忌供養(年忌法要)を行えば
問題ありません。
基本的には霊能者による供養は一度行えば十分です。
毎年、供養をしないといけないなんてことはありませんからね。
(そういうことを言う人もいるようです)
年忌供養を怠ると
臥龍堂。春水(しゅんすい)です。

年忌供養とはいわゆる法要(法事)のことで
一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・十七回忌・
二十三回忌・二十七回忌・三十三回忌・三十七回忌・
四十三回忌・四十七回忌・五十回忌
これらを全て行って初めて完成(弔い上げ)となります。
一回でも飛ばすと
「年忌をやっていない(年忌を怠る)」
ということになります。
年忌の年には、亡くなった人の思いが強くなるため
法要を行い故人を偲び弔うことで
思いを抑える(救う)意味があるのですが
最近は、生きている人の都合で
やらなかったり、
前後の年にずらしたて行ったりする
ご家庭が多いようです。
年忌を怠る(あるいは年忌の年に行わない)と
どのような現象が起きるかというと
多くの場合は
2年以内に年忌現象という形で現れてきます。
一番多いのは
がん、もしくは頭部の病気
さらに天中殺に重なった場合には
命に関わる
とも言われています。
ご相談の中でも
当てはまっている人は多いです。
先祖は年忌で救ってもらえると信じています。
そして先祖を救えるのは
生きている人間(子孫)だけです。
すでに亡くなっている先祖は
その思いを言葉で伝えることができないため
現象を起こして訴えるしか
伝える手段がありません。
子孫がそのことに気づき
処置をしてあげないと
家系に特有の病気が
何代にもわたって続くことになり
このような家を
「がん家系」
と言います。
「いつ現れるのか」
「どんな現象になるのか」は
先祖次第です。
私どもの経験から観ると
がんは序の口で
末期になると
(先祖が我慢しきれなくなると)
いじめや不登校など
子どもが社会に参加できない状況になる
後継者(子ども)が生まれない
といったことが起きるようです。
今までやってこなかった
(あるいは飛ばし飛ばしやっている)けれど
「今年(次回)からちゃんとやります」
という都合の良い言い訳は通じません。
見えない世界には情状酌量はないため
それなりの処置をする必要があるんですよね。
心あたりのある方はお問い合わせくださいね。
民族の共通意識
臥龍堂。春水(しゅんすい)です。
9月20日から9月26日は秋のお彼岸です。
お彼岸にはお墓参りをする人も多いと思いますが
近年では、お墓参りよりも
レジャーを優先される人が多くなっているように感じます。
レジャーを楽しむこと自体は問題ないのですが
レジャーに出かける前には
お墓参りをしてから出かける習慣を
身につけると良いでしょう。
特にこのような習慣は
小さなお子さんがいる
ご家庭ほど大切にされると良いです。
そうすることで
お墓参りが自然と身についてくるからです。
信じる信じないは自由ですが
お墓参りを大切にしていないご家庭ほど
様々な問題が起きてきます。
また、きちんとお墓参りや先祖供養をされているご家庭は
人間関係で苦労をすることがありませんので
出世にも繋がると言われています。
深層心理学では
民族の共通意識というものがあり
その中では日本人の脳の中は
たとえ亡くなった人が無宗教であったとしても
仏教的思考が刷り込まれているのだそうです。
そのため無意識の中では
”死んだら供養をしてもらえる”
と思って亡くなっているのです。
亡くなった人は生きていた時に生じた
様々な原因によって
成仏できず苦しんでいます。
その苦しみを取るのが供養です。
供養は生きている人間にしかできません。
供養ができていないと
亡くなった人の苦しみが解消されず
様々な現象となって
生きている子孫を苦しめることになります。
亡くなった人は子孫を苦しめたいと
願っているわけではありませんが
苦しみの波動が子孫に伝わってしまうのです。
亡くなった人(先祖)の幸せ(成仏)が
私たち子孫の幸せに繋がっているのです。
お彼岸にはお墓参りをしてくださいね。
